スタッフブログ
2017/08/11
SEIMEI
ある一日。
私は大学時代の友人を連れて榛名神社に行ってきた。
本殿まで思ってたよりも距離があり、休み休み歩き、途中で焼きまんじゅうを買いながらゆっくりとてっぺんまで登ったのはここだけの話。
年に一回くらいの頻度でしかその友人とは会いません。
でもその距離感がちょうどいいのです。
色々な事を話しましたが、
例えば近頃は、電車の中でも喫茶店や飲み屋、あるいは歩きながらでもスマホをいじる人が多くなったということ。
東京ドームに巨人戦を見に行ってるときでさえスマホを覗いてる。
かくいう私もその一人ですが。笑
ちょっとでも画面から目を離して車窓の外を眺めたり、何か感じたりするだけでいい。
何も考えずただ自然と触れ合う。
「美しい」といわれるものは画面ではなく、できるだけ肉眼で見る。
どれだけ検索するのが早くなってもスマホの中には答えがありません。
あるのは「らしいよ」という話だけで、この店が美味しい(らしい)とか、どういう人なり場所(らしい)ということ。
もしそれを正解だと考えるようになったら、もしSNS上でのやり取りだけでコミュニケーションを取ってる気になってるのだとしたら、人間としてかなり危ないと思います。
なので私は仲が良い友人とはなるべく会って話をします。
どれだけ調べるのが早くなっても、「検索」をしただけではたちまち忘れる。
そのひとの日常をSNS上で覗いて見ても本当にその人が感じてること、思ってることは話さないとわかりません。
手っ取り早く知ったことは、手っ取り早く忘れてしまう。
何か調べたり知ったりするということは、自分の手でページをめくって考えながら指で追う、という身体を使う過程があるから身体の中に入って長く残る。
だから私は、kindleが、紙の本を凌駕することは絶対にないと思っています。
いちamazonユーザーとしては便利な物はありがたいしFacebookをディスるつもりもありません。
ただ人の心をゆり動かして世界を変えるようなアイデア、それから自分で誤りに気づく修正力、そういうものはデータや情報ではなく、生き物としての本能に近いところからしか生まれないと思うのです。
だから私は実際に会ってその人と話し、実際に探してた本に出会い、自分の目で見たものしか信用しません。
すぐに役立つものは、すぐに役に立たなくなると思うからです。